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羊です

人は何故サラダを食べるのか

サラダって正直草ですよね。

ぼくはそう思います。
レタスそのものの味を美味しいと感じるひとがどこにいるんでしょうか。
 
よくたまに「サラダ美味しい!」とか
訳の分からない発言をしている人がいますが、
あなたが味わっているのはサラダにかかってる"ドレッシング"であって、サラダ自体に味はないですよね?あるとしたら残念、草の味です。
そんなに草が好きなら公園に行って芝生でも食べといてください。
 
逆にドレッシングなしにサラダをむしゃむしゃ食ってる人、マジで何?前世モンシロチョウの幼虫?
 
これらのことから、多くの人がサラダを食べる理由は"ドレッシング"を食べるためであって、"ドレッシング"を味わうためにサラダを食べているといっても過言ではないと思います。
つまり、サラダ=ドレッシングなのです。
 
ということは、最初からドレッシング味のサラダがあればわざわざドレッシングをかける手間が省けるので、一石二鳥ですよね。
 
そこで、今回はドレッシング味のサラダを栽培してみたいと思います!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
無理でした…。
 
 
 
 

ライトな趣味としての読書のススメ

 

最初に言っておくと、このブログは本に全く興味の無い人にとっては退屈だと思います。ですが本の魅力を出来るだけわかりやすく、伝わりやすく、努力して書いたつもりなので、

まあ見てやるか、くらいの気持ちで読んでくれれば嬉しいです。

もしくは暇すぎて呼吸以外にやることがなくなったら読んでみてください。

 

 

これといった趣味がないひとや「自己紹介の時に言う趣味に困ってるよ〜」みたいな人は、もしかしたら多少読む価値があるかもしれません😉

ではいきます。

 

 

 

 

 

こんにちは。

突然ですが、みなさんは「本を読む」ということに関してどんなイメージを持ってるでしょうか??

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いろいろなイメージがあるとおもいますが、

 僕のイメージではおそらく

 

「つまんなそう」「堅い」「陰キャの代名詞」「性格に難ありそう」「人生おもんなそう」「友達いないんか」「イキるな」「キャラ作りお疲れ」「外で遊べ」

 

みたいなイメージを持っているものと思われます。

なんだか自分で書いてて泣けてきました。

 

 

しかしここで僕は声を大にして言いたいです。

 

 

「読んでみたら意外とおもろいよ!!!!!!!!!」

 

 

 とはいっても僕もそんな本を読み漁ってる、死ぬほど好きみたいなわけではありません。

そしてそれをみんなに押し付けたいわけでもありません。

あくまで「趣味」の範囲です。

月に2、3冊読んだら、読んでるほうです。

僕より読んでる人なんていっぱいいるし、僕はそういう意味では"本当に好きな人"ではないです。

 

つまり、何が言いたいかと言えば、

「ライトな"趣味"として」

本を読むことを勧めたいということです。

 

 

 

音楽であったり、マンガであったり、アニメであったり、映画であったり、そういうもののひとつとしての「読書」です。

 

これらのものと何ら変わりない、価値観において優劣のない、読んでるからと言って偉いとか、偉くないとか、そういうのとは関係ない読書です。

 

僕は、ここで「読書ってタメになる」だとか「読むと頭が良くなる」だとか「現代文が得意になる」だとか、そういう観念を無理に押し付ける、頭のイカれた大人みたいなことがしたいわけではないです。

 

それはあくまで「読書」という行為に副作用的に付いてくるメリットであって、「本」自体の本質ではないと思います。

 

もちろんそれを目的に読む人もいるし、そこにも当然メリットが見い出せるのですが、今回僕が話したいのはこういう「読書」自体のメリットではなく、大前提として存在する、そういうのを度外視した単純な面白さについてです。

 

そもそも、そういう強引に価値観を押し付ける大人がいるせいで堅苦しい、つまらない、といったイメージが付いてしまっているのだと僕は思います。

 

 そこで、そのイメージを払拭すべく

小説には、本当に「文学的に」だとか「〇〇的に」だとかそういう堅い面白さじゃない、緩い、単純な面白さがあることをここで強く言いたいです。

また、いまだから読んで欲しいという気持ちもあります。

理由は後述します。

 

 

これから話を進める前提として、

本と一括りにいっても、みんなが知っているようにいろいろな種類の本があることを確認しておきます。

 

本には物語だけでなく、エッセイ、論説、ビジネス書、哲学、現代思想など数え切れないほどのジャンルがあり、

小説といっても、いわゆる「文豪」といった大正昭和期に書かれた近代文学と、今の作品では面白さのベクトルが違うところにあったりするため、ジャンルは数え切れないほどあります。ということは、当然、それぞれのジャンルに楽しみ方があるということです。

 

その中でも、今回僕は「小説」、とりわけ今の小説について話していきたいと思います。

もちろん近代文学現代思想などの本が好きな人もいるし、メリットもたくさんあります。 

というよりむしろ「今の小説」を読むより遥かにタメになるとおもいます、笑

僕はそういう人達を否定したいわけでもありません。

 

要は、

とにかく堅いイメージを持って欲しくない、ということです。

 

本屋に行って、なんか面白そうだなって感じた本をかるーく手に取って、空いた時間にでも読む、そういう時間の潰し方、趣味もあるんだな、という風に捉えてほしいということです。

 

今これを書いてる時、読んでる方の顔から火が出そうなくらい恥ずかしいこと言ってるのはわかってますが、本心なので、しっかり書きました。

 

先に言ってしまえば、今回このブログを通して何が言いたいかというと、

単純に本を介して、好きな作家だったり、場面だったり、読み終わったあとの満足感だったり、そういうのを話したり、共有したりしたいということです。

 

これは、皆が好きな音楽を見つけた時や、感動する映画を見た時、また今日あった面白いことを誰かに話したい、共有したいと思うのと全く同じだと勝手に思ってます。

 

 

 ここまで読んでくれた人は(もしいるならば)

 

「時間潰す方法なんていくらでもあるし、わざわざ本じゃなくてもよくない?」

 

と思った人も多いと思います。

 

結論からいえば僕もそう思うし、ごもっともです。

わざわざ本である必要なんてないです。

 

でも本だけにしかない良さがあるということも胸を張って言えます。

今回は、それを理解とまでは至らなくても、できるだけ伝えられたら、と思っています。

 

以下はそれについて説明したいと思います。

 

ここまで読んで、あ、どうでもいいな、って思った方は全然読むのやめてもらって大丈夫です。

人から強要される趣味ほど面白くないことを知っているし、また、そういう行為が醜く映ることも知っているからです。

多分疲れるだけなので笑

 

では行きます。

 

 

 1.大前提にある「本」の面白さ




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最初は自分が思う「本」を読むことの面白さについて話したいと思います。

あくまで自分が思う、というだけなので普遍的なものではないと思いますがなるべく平易に伝えられたらと思います。

 

まず最初に触れたいのは「本」の2つの特徴についてです。

 

本は皆さんが知っている通り、開いても文字しかありません。どこ見ても文字。

映画やマンガとは違い、パッと見ただけでは描かれた情景、登場人物の表情やそこにある感情を「直接的に」受け取ることは出来ないです。

あくまで読み手の頭の中の想像で受け取るしかないので「読み手依存」と言えます。

 

そこが一般的に敬遠されたり、堅苦しく思われる一因であると思いますが、むしろ僕は小説の面白さはそこにあると考えています。

 

書かれたものが「読み手依存」であることにより、解釈が一元的でない、つまり読む人によって解釈が無限にあります。

 

例えば映画やマンガでは、映像により多く情報(情景であったり、登場人物の容姿、表情など)が「パっと見」で受け取れてしまいます。

それは人にとってはメリットであったりデメリットであったりすると思いますが、解釈の自由度が絞られてしまうとも言えます。

 

それに比べ小説は全てが自由です、そこにある文章から自分なりに、

ここはこんな状況だろうな、この人はこんな人だろうな、今こんな表情してるんだろうな、と書かれた文章以上に自分の想像次第でその世界の奥まで入り込み、楽しむことができます。

普段見過ごしてしまうような登場人物の動作(描写)ひとつひとつが、小説においては楽しむ要素になり得ます。

 

この「直接」見せないことが小説の良さであり、面白さです。

 

これは読んで見ないことにはわかりにくいとは思いますが、多分誰にも「面白い」と思ってもらえると思います。

 

とは言っても

「書かれていることだけで想像するのは難しいそうだし、面倒くさくないの?」

と思う人もいると思います。

そこは安心してください、そこに関しては作家さんは本当にプロです。

書かれていることだけで流れるように自分の中で場面が組み立てられ、鮮明に映ります。

それだけ詳しく、想像しやすく書いてあるということです。マジ上手い。 

 

そして作家さんは基本的に語彙力の鬼なので、日本語を使った表現がとっても綺麗です。

めちゃくちゃ心を揺さぶってきます。

だからこそ、読みやすく、想像しやすく、感情移入しやすいのです。

読んでいくうちに、ああ、と心を打たれる場面、セリフが絶対にあると思います。

 

これがまず1つ目の理由です。

 

次に、読み終わったあとの多幸感、いわゆる「余韻」についてです。

 

みんなも感じたことが絶対あると思うのですが、長い映画を見たあと、楽しみにしてた文化祭が終わったあと、クソぶち上がったライブが終わったあと、などに感じるあのじわーっとした「今日よかったな〜」みたいな漠然とした心地よさありますよね。

 

あれが小説を読み終わったあとに特に強く感じられます。

読むのに時間をかければかけるほど、また上手く練られた本であればあるだけ多く余韻を楽しむことができます。

上記の例に劣ることない余韻が小説1冊で味わうことができます。とにかく心地いい。

 

この要因には、本が持つ特有の

①読み切るのに多くの時間がかかること

②表現としての日本語や文章の美しさ

という特徴が影響していると思います。

 

「同じ余韻だったら映画見に行く方が手っ取り早くて良いじゃん。時間かからないし。」

そう思う人も多いと思うので、これらと比べて本が持つ良さを説明したいと思います。

 

もちろん映画もいいです、それは絶対にあるし、僕自体映画も見に行くので、比べてるからと言って否定している訳では無いことを理解してもらえれば嬉しいです。

 

まずこれらと本との一番大きな違いは、「一生手元に残る」事だと思います。

 

この「手元に残る」というメリットが、感動を瞬間的なものでなくさせ、何度でも読み返し、楽しむことを可能にします。

 

例えば僕の家には小さい頃からこんな本があります。

サン=テグジュペリ星の王子さまという本です。


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圧倒的ベストセラーなので、みんなも知っているのではないでしょうか。

 

僕はたまにこの本を読み返したりするのですが、何度読んでも心がギュっと掴まれるようなそんな感覚に襲われます。

幼い頃に読んだ本っていうのは読み返した時に本当になんとも言えないような、グッとくるような良さがあります。

昔好きだった曲を聞いた時と同じような、懐かしいような、じんわりくるような、そんな感じととっても似ています。

 

また、読む年代によって感じ方が全然違います。

多分大人になって読んだ時もまた違う感動を味わえるのではないかと思っています。

これが手元に残ることの良さだと思います。

 

今本当に面白い本に出会っておくことで、10年、20年先でも楽しめる、そんな財産にすることができます。

 

冒頭に「今だから読むべきだ」という風に書いたのはこういう理由からです。

 

これが二つ目の理由です。

 

次いきます。

 

 

 

2.登場人物の面白さ


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二つ目は本の中でも主に「登場人物」という点に焦点を当てていきます。

 

本は読んでいく中で、膨大な量の文章とそれに伴う複数、または1人の登場人物の考えや行動に寄り添っていくことになります。

そこではもちろん色んな価値観、考え方、性格をもつ人々が描かれています。

 

現実では、まず自分という存在(=価値観)が絶対にあり、そして他人との付き合いの中でなんとか人の考え、価値観を「想像」して理解する必要があります。

たまには「こいつマジで理解できねぇな」って考えを持つ人もいるでしょう。

その時点でその人の人となりに関しての情報はプッツリ切れてしまいます。

 

しかし、小説の中では自分と異なる考え方をもつ人間がわんさかいます。

そこでももちろん自分という価値観を前提に読み進めるのは変わりませんが、現実と違うところは考えなど「内面がそのまま書かれている」というところにあります。

またその内面や感情の掘り下げ度は他の媒体に比べても群を抜いています。

現実では見逃してしまうような感情を表す動作もしっかり書かれています。

 

このような内面が書かれていることでその登場人物1人1人の人となりを理解することができます。

だからこそ、感情移入しやすく物語にのめりこみやすいのです。

 

そこが小説の面白いところでもあります。

特に登場人物が特徴的であればあるほど面白いです。

 

しかし、普段こんなに難しく考えながら読んでいるかと言われたら、全然そんなことは無いです、笑

こういう面白みもあるよ、ということが伝えたかっただけです。

しかし、こんなに難しくはなくとも、それぞれの人となりがハッキリわかるというのは、とっても面白い点であると思います。

本の中には基本的に奇人変人のオンパレードだったりするので、このような視点からもきっと楽しめると思います。

 

 

 

 3.ひまつぶしに最適


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次は「本」がいかに時間を使うのに最適なものか、ということについて書きます。

先程も書きましたが、本というのは読むのにとっても時間がかかります。長編なら特にかかります。今回はそこに着目します。

 

例えば長期休み、毎日友達と遊ぶのは疲れるし、暇になる日もありますよね。

特に部活がない日の日曜日はけっこう暇になりがちだと思います。

それから、友達が遅刻した時の待ち時間。

あとは電車が大幅に遅れた時の待ち時間。

日常の中には結構時間を無駄にしたり、退屈に過ごすような機会も多いと思います。

みんなもTwitterとLINEとYouTubeを無限ループするような休日に飽き飽きしてることでしょう。

 

そこで「本」の登場です。

本というのは本当にスゴくて、読んでる間時間がウソのように吹き飛びます、ホントです。

30分、1時間なんて本当にあっという間に消し飛びます。

 

監獄の中で自分の死を待ち続ける死刑囚が一体何で時間を潰しているかと言えば、

それは読書です。

理由は「読んでいる間は現実を忘れられるから」だそうです。

それぐらい、本には時間を忘れさせ、人をのめりこませる力があります。

 

僕はいつも朝戸塚〜北鎌倉間は本を読んだりして過ごしてるんですが、大船駅なんてないです。どこだそれ。

みんなもスポーツしてたり、勉強してたり集中してる時に時間があっという間に過ぎるということを経験してるのではないでしょうか。

完全にそれの強化版です。

 

さらに+のめり込みやすいという要素が加わるので、それはもう異次元的な早さです。

 

本はとにかくあらゆる退屈な時間に対応できる、スーパー娯楽なのです。

それに文庫本なら小さいカバンにも入ります。

なんならコートのポッケにもはいるので、いつ暇になっても入れてさえいれば、すぐ取り出して楽しむことができます。100点!

 

そしてさらに素晴らしいところは「1人でも楽しめる」というところにあります。 

 

「休日遊びたいけど、呼びかけたら2人しか集まらなかった。微妙。」

 

そんな約束はぶち壊して、本を読みましょう。

恐らくあなたは翌日から陰キャロードを突き進むと思いますが、本さえあれば友達が全員消えても安心です。

 

 

 

4. 圧倒的コストパフォーマンス


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 次は本が持つコストパフォーマンスについてです。 

 

本は上記のようにあれだけ情報量が詰まっていて、時間も潰せるのになんと文庫なら800円以下で購入できます。薄ければ500円くらいで購入できます。

この値段はスタバ1回分我慢することで、1ヶ月は楽しめる値段ということです。

これがスタバが高すぎるのか本が安すぎるのか、どちらの印象を与えるかはわかりませんが、そういうことです。

あと全く関係ないですがスタバで本を読んでいるようなやつは本当にしょうもないです。

 

これは、いわゆる物語の小説はもちろん、ノンフィクションの事件録であったり伝記、ビジネス書、哲学の本も当然当てはまります。

 

読めばわかりますが、あれほどの時間と努力が込められた作品を1000円以下で買えるというのは、本当にバグってるとしか思えません。出版社は一体何を考えているんでしょう。

なおかつ人生や考え方における糧になることは間違いないです。

これは我らがA組の暗記王鎌田先生も言ってましたね。

 

とにかく、かけられた熱量と値段が本当につりあわないほどのコストパフォーマンスを持っています。

実際に手に取ってみてください、本当に釣り合ってなくてびっくりすると思います。

これも本がもつ良いところと言えるでしょう。 

 

 

 5.まとめ

以上4つの点、自分なりにあらゆる視点から本の良さを伝えられたと思います。

 

長く、読みにくい文章だったと思います、ごめんなさい^^;

また、内容をどうにか柔らかく伝えたいと苦心した結果、ドチャクソにスベり散らかしてしまいました。

合わせて謝罪しておきます。

 

そして価値観の押しつけは良くないみたいな話をしてた自分が1番ゴリゴリ価値観を押し付けていることに書き終わって気づきました^^;

 

結局ここまで書いてきてぶち壊すようなことを言うようですが、やはり最大の魅力は内容の面白さにあると思います。結局それに尽きます。

 

 また、僕が書いてきたことよりも、読んでみればわかる良さの方が多いと思います、せっかく春休みという長期休みも控えているので、是非本屋に行って手に取ってみてください。

好き嫌いが本当に分かれるので、1度立ち読みして決めてみるのもいいと思います。

どうしても金を失いたくないという傲慢な人は、僕がオススメ貸したりするので是非声かけてください。

 

 

 僕のインスタグラム@ige_1242 にも読んだ本を投稿してたりしてるので、もし貸して欲しいとかあれば全然喜んで貸します。

(Twitterのプロフにもリンクが貼ってあります) 

 

とりあえず今回はこれで終わりますが、もし「本屋来たけど本の量が多過ぎて、どうやって選べばいいのかわかんない!」とか

「おすすめの本、作家は!?」という人が1人でもいれば、僕なりの本の選び方や、おすすめの本、作家をまた書きたいと思います。

マジでわざわざ書くほど大したものじゃないですが、笑

 

 

あとこの文章を書くにあたって、せっかくの休日を3時間くらい浪費してしまったのでマジで後悔してます。

 

お疲れ様でした。

 

「数学がわからなくなるメカニズム」を開発しました

 

今日はぼくが4年間かけて培ってきた"数学ができなくなるメカニズム"をみなさんに説明したいと思います😊

 
なぜ今日このブログを書き始めたかというと、数IIの三角関数がわからなさすぎてノートを破壊したからです。
 
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0.数学という科目の特徴
 
まず数学という科目の素晴らしさを説明するにあたり、まず数学という科目の特徴を自分なりに考えてみました。
 
①数学とは国語や社会と違い"積み重ね"が大事な教科である。
 
②数学はただ公式を暗記すれば点数がとれるのではなく、自分で考え、選択し、解かなければならない複雑な科目である。
 
③数学は物理と並び「一度寝たら何もわからなくなり、その後の授業はただただ寝ることしかできなくなる科目ランキング1位」である。
 
これらを踏まえて数学が自然とできなくなるメカニズムを解明していきたいとおもいます。
 
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①で話したとおり数学は積み重ねが生きる教科だと考えます
逆に、積み重ねがないと何もできません
極端な例をあげると
四則演算ができないとその後の全ての問題が解けないように、それら基礎の積み重ねが必要です。
 
ここが国語や歴史と違うところです
特に歴史は単元ごとにやることが切り替わるため、1回1回覚え、暗記すれば例え1回目のテストができなくても1回目と2回目は全く範囲が違うため2回目のテストはできたりします。
 
積み木で例えるとこんな感じ
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積み木に見えない人は目を洗ってきてください。
 
ただし数学科目は違います
中1、中2、中3で習ったことが多くの場合高校の数学にも生きてきます。
 
例えば三角関数
 
中学の時やったサインコサインタンジェントを高校でも使い、さらに複雑な問題を解きます。
ぼくみたいに中高一貫
「中学はゆうて休憩期間、ウェーイ!!!!」
みたいな態度で数学の授業中、全て寝ていた人は、全くこれらがわからないまま間違いなく爆死することになります。

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積み木で例えるとこんな感じ
 
ここが数学の怖いところです。
特にぼくみたいに定期テストを短期集中、高速暗記みたいにやっている人は、テストはできても全く身についていないため、テストが終わった瞬間全ての公式が抜け落ちます。
 
そして次のテストの時には前回やった全ての内容を忘却しているため、また1個目の土台から作らなければならず、むちゃくちゃに手間がかかって必ず教科書を1回は破ります。
 
そして授業でなにをやっているのか分からなくなるため、まるで天声人語を書き写しているような錯覚に陥ります。そして寝ます。
 
2.授業中
 
数学の授業中ではさまざまな公式に触れます。例えばそれが最初に覚えなければその後の問題に影響を与える公式だったとします。
 
そしてそれを覚えず(復習せず)次の授業に望みます。
問題を解きます。
公式を覚えてないと解けません。
ここで普通の人は前のページを開いて確認します。
しかしぼくはしません。なぜならプリントをノートに貼ってないためばらけるのがイヤだからです。
そして例題だけを写し、練習問題もやらずに答えだけ写します
 
ここも数学の怖いところです。
 
この方法を2年間か続けていると、普段絶対怒らない木水先生に耳元で「写してんじゃねえぞ」と低音で怒られます。ぼくはいわれました。
 
ここでポイントなのは授業中問題はやらないくせにうるさくすることです。
そうするとあの穏やかな木水先生から「黙れ。」といわれ、さらに一気に嫌われるため、寝てても放置されます。安眠。
 
 
3.睡眠
 
数学の授業は気づいたら寝そうになります。これは人間であれば仕方の無い、自然の摂理であると考えられます。
そこに"+なにをしているのかわからない"
という特性が加わると、意識を失うまでのスピードが2倍以上になります。
 
その速さはもはや香川くんの「俺今日古典寝ないわ!」からの睡眠に至るスピードと同義であり、さらに
 
試験前、普段勉強しない友達の「オレ今日徹夜するわ!」からの「疲れたから今日はおやすみ」と発する確率くらい確実です。
 
これをマスターしたのが我らが"浪人の星"
いでたくみくんです。
彼は毎回チャイムが鳴り、号令が終わった瞬間には眠りに落ちています。
 
僕より数学ができないのに、理系に進んだ彼はおそらく1年後には死んでるんじゃないかと思います。
 
 
そして③で述べたように、数学は一度寝たら何もわからなくなるランキング1位タイです。
つまり、次からの授業は前回の復習をしていない限り、完全に寝ることになります 。
 
そして試験前の自分に全てを託します
今わからないのに後でわかるはずもなく、
テストはもれなく撃沈し、次のテストも積み重ねが出来てないためできず、負のスパイラルに陥ります。
 
ちなみにぼくはこのサイクルを繰り返しすぎて、河合塾の記述模試は100点中答えが明確にわかったのが1問だけでした。点数は3点です。
ほぼ半分は絵を書いてました。
 
 
3.破壊
 
数学のテストは基本破壊したくなります。
 
4.まとめ
 
以上で「数学ができなくなるメカニズム」の説明は終わりです。
いま中学生の人はこれを読んで頑張ってください、9割以上の確率で文系に行くことになります。
 
あとこれを書くにあたり、めちゃくちゃ時間を無駄にしたので後悔しています。
ありがとうございました。